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人生の岐路、大海原を渡ってみたかった。 ワーホリを決断するまで

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「興味があるなら行ってみればいいじゃない」

2018年10月、茜色が色濃く映える秋空のもと、「KOMPAS」というツアーの振り返り会にてそう言われた。

―行きたい、それならば、行けばよい

小学1年生でも分かる回答を自分自身で導きだせないほど、わたしの頭は凝り固まっていた。

―いい大人がやりたいことだけやればいい歳ではない

―興味はあるけれど…

わたしの心とは裏腹に逆説ばかりを並べることに必死になっていた。

しかしながら、自分でも家族でもない第三者に後押しされたこの瞬間、青天の霹靂のごとく強い衝撃を受けた。

これまで噛み合っていなかった歯車が動き始めたような気がしてならなかった。

ただひたすら胸の高鳴りが止まなかった。

何を躊躇っていたのだろうか。

自分でも分からなくなるほど、ワーホリで海外に行くことがスッと腹に落ちていた。

「そうか、行ってみようかな」


そもそもワーホリという制度を知ったのは大学生のとき。

夏休みを利用してフィリピン留学に行ったときのことだった。

ここで出会った日本人の多くは、フィリピン留学を終えた後ワーホリに行くと言っていた。

大学を休学してきた者、大手企業を辞めてきた者、歌手として活動している者、結婚後ひとりできた者。

自分の想像し得ない世界観が、人生が、そこには溢れていた。

夢や希望を語る強い眼差しが眩しく見えた一方、自分には縁のない話しだとそっと目を逸らした。

―世界は日本だけではない

つい数か月前に学んだはずであったが、

そんなことすら忘れてしまうほど、わたしは就活という魔法にかかっていた。

大学卒業後の道を探そうと似合わないスーツを身にまとい東京の街を奔走していた。

この時は、新卒で日本の企業に就職することが自分の道であると信じて疑わなかった。

むしろ、これ以外に進む道はないとさえ思っていた。


2015年の春。

進学でも進級でもない、初めての春を迎えた。

両親への感謝の気持ちをしたためた手紙を残し、家を出た4月1日は今でも鮮明に記憶に残っている。

IT企業に入社し、システムエンジニアとしての仕事が始まった。

ようやく仕事にも慣れ、自分の生活を俯瞰できるようになったころには、幾度となく季節が過ぎ去っていた。

しかしながら、心に余裕が生まれるにつれ、言葉にできない違和感を感じるようになっていた。

―何かが違う

このような漠然とした想いが、浮かんでは消え、浮かんでは消え、を繰り返す日々。

自分のやりたいこと、生き方にフィットしていないと感じてはいたものの、

日本社会に敷かれた安定のレールから降りることへの恐怖が、自分を蓋していた。

自分で自分に気づかないフリをしていたのかもしれない。

しかし、多くの友人は結婚・出産・転職を経験し、ましてやオリンピックに出場した友人もいた。

彼女らを前にし、目的も目標もなく日々を過ごしている自分自身に危機感を覚え始めた。

ー自分のやりたいことは何か

ーどうやって生きていくのか

ー自分のアイデンティティとは何か

開けてはいけないと心の奥底にしまい込んでいたパンドラの箱を開けずにはいられなくなっていた。


仕事をしながらも自分の生きる道を模索している最中、出会ったのが「KOMPAS」という名のデンマークの旅。

自分らしいライフとキャリアを模索するための9日間のツアーである。

この旅の存在を知ったとき、直観的に「行かなければ」と思った。

この旅での経験が転機への序章であった。

2018年の8月下旬。

日本からおよそ8700キロ離れた北欧の国、デンマーク。

首都コペンハーゲンから西へ行くこと車で3時間。

バイレという小さな街の“フォルケホイスコーレ”という教育機関にわたしはいた。

この地にくれば、何かヒントが得られるかもしれない。

暗がりの中で見えない出口を探すわたしには、一筋の光でもいいからと灯りを欲していた。

「何か」掴めそうで、でも「何も」掴めない。

結局、「何か」を掴むことはできず9日間の日程は終了した。

この地にくれば何とかなるかも、という淡い期待は打ちのめされた。

しかし、不思議なことにわたしの心は落ち着いていた。

―人に、場所に、頼るものではない

―答えは自分にしか持ち合わせていない

確固たる想いが自分の中に形成されていくのを感じ始めた。

今思えば、これからの人生を予感していたのかもしれない。

それから程なくして行われた「KOMPAS」の振り返りにて、ワーホリで海外へ行くことを決めた。

久しぶりに自分の人生にワクワクした。


あくまでワーホリは期限付きであり、ワーホリを終えた後にも長い人生が待っている。

今回の決断はあくまで「今」の決断にしか過ぎない。

これから先幾度となく訪れる人生の岐路に太刀打ちできる「何か」を見つけたわけではない。

それでも、小さな光が見えたことに違いはない。

一度決断してからは、

行くことへの恐怖が嘘のようになくなり、むしろこのまま敷かれたレールを歩き続けることのほうが恐怖に感じた。

もうわたしにはこの道しかない。

このワーホリを通してその先の人生を自分自身で作り上げていこうと心に決めた。

今ここオーストラリアにいるのはまぎれもなく自分の意志である。

日本社会に溺れもがきながらも積み上げてきた小さな一歩が自分をオーストラリアまで導いてくれた。

この記事を書いている最中、ふと思った。

「敷かれたレール」とあるが、新卒で就職したのも自分の意志。IT業界に決めたのも自分の意志。

敷かれたレールでもなんでもなくて自分で作った道である。

それにもかかわらず、あたかも人に決められたかのような言い様に自分でも驚いた。

人生はトライアンドエラーの繰り返しである。

その時は自分の意志があったが、それが永遠の正解とは限らない。

時間とともに自分の意志がカタチもなく崩れ去ることも往々にしてある。

いつまでもそこに留まるのではなく、アップデートされていく自分の意志に耳を傾け柔軟に人生を歩んでいく。

そうすることで、自分の納得する人生が作られていくのだと感じた。

自分の生きる人生を愛せ、自分の愛する人生を生きろ

ボブ・マーリー

恥ずかしながらこの言葉を知ったのはここ数年のことである。

まさに自分の想いを、理想を、完璧に表現した一言だ。

この言葉を体現すべく、選択した海外での生活。

この先どんな道を歩んでいくかわからない。

でも、間違いないことはただひとつ。

自分の人生にワクワクしている。

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