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あなたの夢はなんですか フォルケホイスコーレ紀行

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―Hvad drømmer du om?
(あなたの夢はなんですか?)

デンマークの小さな町バイレに佇む
フォルケホイスコーレの校舎には、
そう描かれている。

デンマークから遠く8000キロ離れた
大都市・東京にて、
この存在を知るのは単なる偶然であったが、

その距離を感じさせないほど
わたしの心に深く突き刺さった。

新卒で入社した会社生活も4年が経ち、
まさにその問いの答えを欲していた
矢先のことであった。

「ここに行かなければ」

直観的にそう感じた。

気付けば、導かれたかのように身ひとつで
成田空港にいた。


2018年8月25日。

「COMPAS」9日間のデンマーク行き
ツアーに参加した。

デンマークで生まれた全寮制の成人教育機関
「フォルケホイスコーレ」。

その中のひとつブランビアフォルケホイスコーレがバイレという田舎町に存在する。

この地において、行動心理の側面から自身の中にあるコンパスを明確にすべく、

一週間に凝縮されたプログラムを体験するのがこのツアーである。

世界的にも高い評価を得ているデンマーク教育がどのようなものか関心はあったものの、

果たしてわたしの求めている答えが見つかるのか、そのことばかりが気がかりだった。

どれほど刺激的な授業が展開されるのだろうか。

しかし、わたしの期待はいい意味で裏切られた。

ここで重要視されていることは、自分との対話。

常に自分の気持ち、思考、反応に意識を向けるように諭された。

そして繰り返し言われた。

やってもいいし、やらなくてもいい。

そうか、やってもいいし、やらなくてもいいんだ。

あなたの考えを教えて?

でも嫌なら何も言わなくていいよ。

衝撃的だった。

“やる”ことが当たり前、“やる”ことが正しいとされる日本の教育には存在しない、“やらない”という選択肢。

すべては自分の意志が正しいとされるこの場において、心の安らぎを感じた。

心理的安全性。

チームメンバーひとりひとりがそのチームに対して

「気兼ねなく発言できる」「本来の自分を安心してさらけ出せる」

と感じられるような場の状態や雰囲気をさす。

生産性の高い組織の必要条件として近年よく耳にする言葉である。

このプログラムの大きな特徴の1つであった、と私は思う。

これが徹底されていた。

何度も何度も、ここは安全な場であることを説いていた。

何の偏見もなくひとりの人間として見てくれる。

自分の意見に評価がつかない。

みんなで認め合う雰囲気が心地よかった。

重要なことは自分の意志。

そしてそれを100パーセント受け入れてくれる安心感。

それがお互いに認識できたとき、非常に強い関係性が築きあがった。

年齢も性別も出身地も経歴もすべてが異なる初対面の大人同士にもかかわらず、である。

たった9日間でここまで理想的な関係が築けるとは、想像もしていなかった。

ベクトルは異なるものの温度感が等しい志がある故に生まれる親近感。

ひとりの人間として受け入れリスペクトするが故に生まれる距離感。

ここには、相対するこの両者が同時に成立していた。

わたしを囲むすべての環境が、すべての人が、次第に “わたし” を “わたし” らしくさせてくれた。

「非日常」の空間が、日本での肩書も経歴もすべて消し去った。

気づけば、ありのままの自分だけが存在していた。

ようやく気付いた「自分との対話」の意味。

それと同時に、これまで自分の意識がどれほど外に向けられていたのかを悟った。

―あなたの夢はなんですか?

自分の人生を豊かにするためにこの問いの答えを探している。

いや、違う。

結婚、出産、転職。次々と人生を進めていく友人から遅れをとりたくない。

彼女らと対等になるべく、自分にはコレという武器を手に入れるために、この問いの答えを探していた。

学生時代は、勉強、スポーツにおいて目標や夢があった。

社会人になり目標が、夢が、なくなった。

心の拠り所を得るために、人生の目標や夢にふさわしい壮大な答えを探していた。

これらが本音である。

自分を強くみせるために、大きくみせるために、被っていた重いだけの鎧がひとつずつ剥がれていく。

身軽になった心で自分を見たとき、ようやく気付いた。

―自分は答えを求めすぎていた、誰から見ても正解と思われる答えを

前に進むことしか頭になく、そこに道はないと薄々感づきながらも、それでも焦って前に進もうとする。

答えを求めすぎるが故にいばらの道を突き進んでいた。

そんなところに答えなんか転がっていないのに、である。


9日間のプログラムを通して、

奇しくも、そんなものは簡単に見つからないと見切りをつけることができた。

見つからないからと言って、人生前に進めない、そんなわけないでしょう、と。

そもそも暗闇の中でゴールだけを見つけようとすることが間違いである。

足元を照らし、一歩一歩進んで行く。

すると、知らないうちに少し先に小さなゴールが見えてくる。

ちょっとずつ。ちょっとずつ。

足元と数歩先に光がありさえすれば、それだけで十分進んでいける。

そう思ったとき、心が軽くなった。

もっと寛容に、フラットに、シンプルに。

今まで自分を覆いつくしていた固定概念がなくなったとき、

自分だけに意識を向けることができたとき、

内面から溢れるエネルギーだけで前に進んでいけるような気がした。

ただただ、やりたいことをやってみる。

それでいいんだと。

そこに答えがあるかなんて気に留めない。

そこに他人の評価基準は入り得ない。

気付きの内容はなにも目新しいものではなかった。

啓発書を読めば最初の数ページに記載されていそうな、ごく当たり前のこと。

しかしながら、外からインプットされた思考ではなく、体験から得た思考であることが今回の旅を意味付けた。

わたしの夢は自分自身で納得できる人生を歩むこと。

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