2020年1月25日 22時00分
人生最大の旅としてオーストラリアに渡った。
ワーホリ行きを決めてから1年半。
もうすぐこの会社を辞めるんだと自分に言い聞かせ、長く苦しい時間を耐えしのぎ、
はやる気持ちを抑えながらも準備を進め、満を持して出発したあの日。
これから先どんな世界が待っているのか、ワクワクと不安な気持ちで
言葉にならない深い感情を抱き、飛行機に乗ったあの日から1079日。
遂に、今日。オーストラリアを発つ日を迎えた。
一体どれだけの経験をしたのだろうか。
一体どれだけの感情を抱いたのだろうか。
夢のような時間だった…ように思う。
けれども、1日1日紛れもなくわたしが過ごしてきた時間である。
楽しい日もあれば、
辛い日もあった。
やる気に漲る日もあれば、
何もしない、どん底な日もあった。
前に進んでいるのか、はたまた後退しているのではないかとさえ思う日々もあった。
振り返ると、この1079日は、決して夢の時間ではなく、
これまでと変わらないわたしの人生の一部であった。
会社を辞めて海外に行く。
英語を使って生活をする。
簡単なようで、でも実際には苦労の連続で。
何でここに来たんだろうかと自問自答する日々。
なりたい自分と現実の狭間にもがき苦しんだあの頃。
語学学校に行って、たくさん友達作る。
バリバリと英語を使ってローカルの仕事をする。
毎日笑い、充実した日々を送る。
いろいろな人に出会い、いろいろな経験をする。
そんなキラキラした海外生活を当たり前のように思い描いていたことに、自分を苦しめた。
友達ができない。
英語を話したい、外に出たい。けれど、人に会うのが億劫。
いい時ばかりじゃない、悪い時もある。
いや、悪い時ばかりだったかもしれない。
でも、これが自分。
意識が高い割に、人見知りで出不精で。
無理して他人に合わせることも、何話しているか分からないのに愛想笑いしてやり過ごすのも自分ではない。
ここがわたしの到達点であり限界点。
苦悩の連続ばかりで、そんな現実から目を背けたくなる時もたくさんあった。
もう帰ろうと何度も思い、日本行きのチケットを探した日も数えきれない。
でも、それでも、何とかここまで過ごしてきたことをまず誇りに思う。
海外生活ってきらきらしたように聞こえる。
充実した日々のように聞こえる。
英語が話せることが当たり前で。
充実した日々を過ごすことが当たり前で。
でも、そんなんじゃなかった。
そんな綺麗事ばかりの生活なんてあり得なかった。
日本を出れば自動的にきらきらした生活が待っている魔法なんて無くて。
あたかも魔法があるかのように、それを実現させるためには、
周りには見えない本人だけの努力と行動なくしては成し得なくて。
日本を離れて生活していることは本当にすごいことなんだと、経験したからこそ分かった。
初めて日本をこんなに長く離れ、家族とも友達とも社会的地位からも離れ、
ただただ自分の弱さを痛感した。
正直思い描いていた生活とは程遠く、もっとできたんじゃないかと悔やむ自分もいる。
だからこそ、今回の経験を次の旅に生かしたい。
この3年間よりもさらに充実した時間を過ごせるように。
自分で選んだ道とはいえ、時に険しくもあり。
一体何のためにここに来たのだろうか。
どれほどの想いを抱き、この地に来たのだろうか。
とにかく日本を出なければ、そこにしか自分の進む道はないと思い、この地にたどり着いた。
これからの人生、一生かけてやりたいことを見つけたいと思い、渡豪した。
しかし、この答えはまだ、わたしの目の前には現れなかった。
何か光が見えそうで、朧げな光が現れては消え、また現れては消え。
光が鮮明に差し込むにはもう少し時間がかかりそうだ。
でも、この旅を選択したことで多くのものを得ることができた。
この挑戦が、自分の思考を豊かにし、可能性を広げ、人としての幅を広げた。
ポジティブなこともネガティブなことも様々あったけど、
あの時、挑戦という選択をした自分にただただ感謝するばかり。
オーストラリアでの長い旅はここでおわり。
空港で家族と別れた時、号泣したあの時の顔。
いつかこの泣き顔を見て、笑える時が来るかなと思い、自撮りして残した写真。
いまなら言える、なんとかなったよと。
自分のコンフォートゾーンを抜けることは本当に大変だけど、
それをした人にだけ訪れる達成感と充実感。
今日だけはこの感覚を存分に味わいたい。
やってみたら自分でもできた。
海外に行くって特別な人にしかできないと思ってたけど、全然そんなことなかった。
今まで生きてきた時と同じように、ただ毎日を生きていたら気づけばこんなところまで来ていた。
20代の間に気づくことができて本当に良かった。
世界は広いということを、
日本の外にも生きていく場所を作ることができるということを。